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INPS JAPAN   IDN-InDepthNews - UN INSIDER

震災・津波瓦礫と闘う日本

【仙台IDN=ラメシュ・ジャウラ、浅霧勝浩】

 

福島原発事故は、エネルギー政策再考に向けていまいちど人々の目を呼び覚まさせた。他方、日本の北東部である東北地方を襲った巨大地震・津波は、苦痛と苦難の傷を残しただけではなく、絶望を乗り越え、自らの苦悶を強さに変えようとする被災者のあくなき闘志をも引き出した。

9月の最終週、IDNIPSジャパンは、近親者や家庭、職場を巨大な津波で失った悲しみにめげることなく、地域の再建に向けて努力する老若男女の姿を目の当たりにした。



それから約2週間後、東京でのIMF・世界銀行年次総会に先立って、日本政府と世界銀行が主催して10月9~10日の日程で行われた「仙台会合(防災と開発に関する仙台会合)」に、世界中の財務・開発関連閣僚が集った。

直接的の経済的損害が16兆9000億円(2100億ドル)、沿岸部650キロメートルが破壊、いくつかの町や村そのものが流され、2万人近くが死亡もしくは行方不明と、世界史上被害が最大規模の震災であることを考慮して、「仙台会合」は被災地域の最大の都市で開催された。

会合
の主催者は、世界の政策決定者らとともに、災害リスク管理を国家の開発計画や国際開発援助と統合するためのさらなる取り組みが必要であると呼びかけた。共同声明は、災害リスクをあらゆる開発政策や投資プログラムに統合することで、リスクを予防的に管理する取り組みを加速することを、各国政府と開発パートナーに要請した。

世界銀行のジム・ヨン・キム総裁は「我々には予防の文化が必要です。災害のリスクから逃れられる国はありません。しかし、災害への脆弱性を減ずることはできます。うまく計画すれば、災害による物的損害と人命の喪失を減らすことができるのです。予防は、災害救助や対応よりもはるかにコストのかからないものなのです。」と語った。

日本の城島光力財務大臣(当時)は、「長い歴史を持つ日本の災害管理の文化と、東日本大震災とその復興プロセスから得られる教訓が世界中で共有されること」、さらには、仙台会合によって「開発プロセスのあらゆる側面において災害リスク管理を主流化する必要についてコンセンサスを得るきっかけになることを望みます。」と語った。

各国政府は、救援・復興のための機関を、官僚機構の煩わしさを避けつつ構築せねばならない。しかし、仙台市の北東46キロメートルのところで進行している復興作業は、難局に直面してもなお、市民が事態を先取りすることの必要性を強く印象づけるものであった。

瓦礫の山の下から
 
在家仏教団体「創価学会」の案内でIDNIPSジャパンが石巻市を訪問した際に話を聞いた一人が、黒澤健一さんである。その苦難の物語は、我々の胸を深く打った。なお石巻では、人口16万4000人のうち約46%が同様の津波の被害を受けている。

彼は、2011年3月11日に発生した巨大地震の直後に大津波が襲ってきた時、自宅のある石巻市に向かって車で戻るところであった。高さ10メートルにも達した巨大津波は、太平洋岸から内陸に5キロも達した途方もない規模のもので、この時、黒澤さんも危うく巨大津波に飲み込まれかけた。

「津波は恐ろしいスピードと勢いで襲ってきて、それ以上車で逃げることは不可能でした。幸いにも、近くに松の木があって、私はそれにしがみついて何とか助かったのです。」と黒澤さんは当時の様子を振り返って語った。

「月のないその日の夜は、雪が降りしきっていました。私は凍えるような寒さの夜をなんとか耐えました。夜が明けると、水が引き出したので、妻の加代子を探し始めました。私は泥や瓦礫に足を取られ、何度も滑ったり転んだりしました。また、津波後に発生した火災で煙があたり一面に立ち込み、前がほとんど見えませんでした。妻を探す間、緊張と不安で私の目にはずっと涙がたまっていました。そして、ついに妻を見つけたのです。彼女は生きていました!」

10日後、黒澤さんは、住居とキッチン関係のショールームを兼ねた店舗がかつてあった場所に、家財を探しに出かけた。瓦礫の下に、見慣れた(ドリルの)黒い取っ手があった。「私は、配管工として長い間使っていた手持ちドリルをそこで見つけました。ケースは割れ、中のドリルは泥まみれでした。私は、胸がいっぱいになりながらドリルを手に持ち、泥を落としました。その時、まるで瓦礫の山の下から希望が湧き上がってくる感覚を覚えました。」

不安な気持ち
に押しつぶされまいとして、彼は、自分の足で再び立ち上がる決意を示すための大きな看板を作ることを決めた。「瓦礫の中から廃木とねじを見つけ組み立てるのを、2人の友人が手伝ってくれました。復興を真摯に祈願して、私たちは『がんばろう!石巻』と書いたのです。」

運命の日からちょうど1か月後の2011年4月11日、彼の住居の瓦礫の中に立つ、幅11メートル・高さ2メートルの看板が登場した。

「がんばろう!石巻」の看板を写真付きで掲載してくれた新聞がいくつもありました、と黒澤さんは嬉しそうに語った。この看板は、今回の大地震と津波の生存者に流れる不屈の精神を象徴するものとなった。彼らは、自分たちの家や街の再建に動き出した。そして、この世のものとも思えない荒涼とした風景を目の当たりにして目がうつろになり、依然として呆然自失の状態に陥っていた他の市民たちに救いの手を差し伸べた。

黒澤さんは、他の数多くの生存者と同じく、人間をのみこんでいった巨大津波によってもたらされた苦痛と苦難の瓦礫の下で慄きつづけるわけにはいかない、と考えている。「私は、必ず苦難を強さに変えたいんです。それが私の使命ですから。」と黒澤さんは語った。

命を再建する

主要日刊紙『聖教新聞』は、東北の地震・津波の被災地域における創価学会員による「復興」活動(福光プロジェクト)について報じている。創価学会自体は、3・11の東日本大震災の直後から被災者への避難所の提供、食料などの救援物資の分配、会員や友人、近隣の人々の安全を確保するための捜索・救助など、被災後の復興支援活動に多大な金銭的・人的資源を投じてきた。

被災地域では
多くのボランティアのチームが、主に地域の創価学会の青年部員によって、自発的に結成された。

創価学会の学生部員は、地震・津波から約4か月後の2011年7月31日、仙台市で音楽フェスティバル「ロック・ザ・ハート」という斬新なイベントを開催した。この音楽フェスティバルは、仮設住宅に住む多くの被災者や、巨大地震・津波の余波と今なお闘い続けている人々に勇気と希望のメッセージを送ることとなった。

伝説のジャズ奏者ハービー・ハンコック氏とブラジルの著名なピアニスト、ホセ・カルロス・アマラウ・ビエイラ氏が、このイベントにメッセージを寄せた。ハンコック氏は、愛する者を亡くした人々、被災によって人生を変えられてしまった人々に心からの連帯と支援のメッセージを送った。また、勇気をもって前に進み、いかなる状況をも乗り越える元気を人間に与える音楽の力を称賛した。
 
国土交通省
の雇った技師らによる優れた取り組みのひとつが、2011年9月17日に始まった宮城県石巻地区(石巻市東松島市女川町)の震災瓦礫処理プロジェクトである。2014年3月25日まで続く見込みである。それまでに、およそ43万立法メートルの津波堆積物と310万トンの瓦礫を、もっとも徹底的で、かつ可能な限り迅速なやり方で、分類・洗浄・処分することになる。
 
仙台市
近郊で行われるプロジェクトのひとつであるこの事業の予想費用は1482億円(21億8525万ドル)に達する。「これは途方もない額であるし、瓦礫問題に対処する努力のレベルは並大抵のものではないが、5000人以上の住民が亡くなり、生存者の生活も決して震災以前と同じようなものではありえない石巻地区においては、人間を襲った惨害のコストに遠く及ぶものではない。」と正しくも指摘するのは、米国の『整地・掘削業者雑誌』の編集者ジョン・トロッティ氏である。これは、この地に訪れる人なら皆が納得する指摘であろう。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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