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|カンボジア|市場経済を学ぶクメール・ルージュの拠点

Pailin, the former stronghold of the Khmer Rouge, struggles to surivive in changed times. Credit: Andrew Nette/IPS

【パイリンIPS=アンドリュー・ネット】

 

タイ国境近くの、かつてクメール・ルージュの拠点だったパイリンに住む元ゲリラたちにとって、この10年間は市場経済の特訓コースだった。22,000人の人口のこの町は、内戦を経て特別市となり、そして今は顧みる者のない地方のへき地になっている。

パイリンはタイの政情不安とプレアビヘア寺院をめぐるカンボジアとタイの長期的な対立により大きな打撃を受けている。かつて盛んだった国境貿易は廃れ、旅行者も少なくなった。「宝石もなくなり木材もなくなり、商売はほとんどない。客を見つけるのが一仕事だ」とタクシー運転手のコマさんはいう。

 
20年に及んだ内戦中、パイリンはクメール・ルージュの主要拠点で、軍資調達のための国境貿易で豊かに潤っていた。中国からの軍事的経済的支援の入り口でもあり、近隣地区は戦闘が繰り返される激戦地だった。深い森に囲まれたこの町は、政府軍の攻撃に対する自然の要塞だった。


1996年にイエン・サリが3,000人の兵士を引き連れて政府に投降し、内戦は終結に向かった。サリは連立政権内の対立からの中立を約束して、パイリンの宝石と木材の貿易を引き続き掌握した。政府は新たな市民を歓待し、パイリンでは社会基盤の建設が進んだ。90年代後半にパイリンは宝石の取引とカジノで繁栄した。だが事態は変化する。


今日、バンコクからパイリンまでの道のりは4時間。宝石は少なくなり、町を囲んでいた森は耕作地に切り開かれて木材も失われた。カジノやホテルも廃業し、タイからの燃料と車の密輸が主要な経済活動だと住民はいう。


パイリンの地方政府には町の経済的展望の話ができるものはいない。今年初めにフンセン首相が訪れた時には、ゴルフ場の開発が提案された。タイのビジネスを招致するための特別区の設立計画もある。戦う能力しかない元兵士には寺院問題は好機でもあり、軍に採用されて紛争地域へ派遣されたものもいた。


一方、町の人々はクメール・ルージュ裁判の行方を見守っている。裁かれているのは身近な人たちだったからだ。裁かれて当然だという者もいれば、国のために戦った人々だと同情する者もいる。


クメール・ルージュの拠点だったパイリンについて報告する。(原文へ
 
 
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