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│南スーダン│ハンセン病とたたかう人々

After a lifetime of struggle, Laurence Modi hopes to improve his home and one day start a family. Credit: Simon Murphy

【ジュバIPS=ダニエル・バティスト】

 

一見したところ、ジュバ郊外にあるロクウェ村は南スーダンの普通の村と同じように見える。しかし、地元の診療所を見てみると、ここが普通の場所とは違っていることに気づく。

何十人もの患者が、日光を避けて屋根の下に入ろうとしている。四肢が曲がっている人も少なくない。歩きまわれる人もいるが、歩くのもやっという人もいる。ここロクウェは、ハンセン病患者が身を寄せる場所なのである。

 
エルコラン・オンヤラさんが自分の足にあるできものに気づいたのは13歳のときである。そのときはそれが何だかわからず、もっと痛いできものが体中に出てきたときに、初めてそれを母親に見せた。自分自身の病気からいったいそれが何であるかを悟った母親は、動揺を隠せなかった。エルコランさんは、母親と同じように、ハンセン病にかかったのである。

彼はじきに、肌の感覚がなくなり、傷が感染し始めた。病状が悪化するころには、もう母親は亡くなっていた。

エルコランさんの家族は、彼をどう治療していいかわからなった。しかし、ハンセン病の患者が教会の信徒らによって世話を受けているという村のことは聞いたことがあった。エルコランさんの兄が彼をそこに連れて行ったのは1976年のことである。受け入れたのはセントマーチン・デポレス信徒団であった。

他の患者らと同じように、エルコランさんは手足の感覚を失いつつあった。19才のとき、彼を悲劇が襲った。「夕食を作っていて、火にかけたポットを手にしようとしたのです。暑さは感じなかったのに、ひどいやけどをしてしまいました。僕は、指と手の一部分を失ってしまったのです。」

信徒団の運営する診療所は、慢性的な資金不足に悩んでいた。止むことのない内戦によって、医薬品の供給はきわめて不安定。それでも彼らは、何とかして村のハンセン病患者らを救おうとした。

ハンセン病が治ってからも村にとどまる元患者は少なくない。なぜなら、貧困状況の中で障害を抱えたまま外の世界で生きて行くのはきわめて困難だからだ。

内戦は続いていた。しかし、皮肉なことに、ハンセン病への偏見が村を救うことになった。何も奪うべき物がなく、行けば病気をうつされると誤解されたため、村が襲われることはなかったのである。

南スーダン
が独立して、人々は国の行く末に希望を持っているが、エルコランさんは懐疑的だ。「これまでここには何の発展もなかった。政府は僕らのことなんか気にかけてはいない。事態が変わればいいが、もうちょっと先を見てみないとね。」

世界のハンセン病患者は減っているが、政府から村への援助はきわめて不十分で、国際的なドナーからの援助に頼っている状態である。スコットランドカトリック国際支援財団(SCIAFは、「スーダンエイド」の支援を得て、南スーダンの人々に、蚊帳481張り、フライパン400個、敷布団400枚、毛布400枚、水汲みバケツ400個などを提供した。

また、地元での雇用創出や住宅の修理などのプロジェクトも進行中である。

南スーダンのハンセン病患者の集まる村について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩

 

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