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│チュニジア│新しい抵抗としての文化

【チュニスIPS=ジュリアーナ・スグレナ】

 

ニカブでほとんど顔が見えないチュニジア人女性のエラは、大学当局によるニカブ禁止に5か月間反対してきたが「のれんに腕押し」だったと語る。他方、首都チュニスの別の場所では、チュニジアの伝統的な衣装を身にまといチュニジア国旗で肩を包んだ一団の学生が、ハーレム・シェイクと呼ばれる、起源は1980年代初期の米国だが、最近チュニジアにもオンラインで人気がでてきている踊りに興じていた。

 

この2つの光景は、過激な宗教的サラフィ―主義者と世俗的なチュニジア人との間の対立を表すものだ。後者は、イスラム主義者の台頭によって、独裁者ザイン・アル=アービディーン・ベン・アリーが追放されたジャスミン革命の成果が失われつつあると主張している。

 

頭の先から足先まで黒衣に包まれたエラは、宗教の尊重と従順を望む保守派の希望を体現するものであり、一方「抗議のダンサー」たちは、文化こそが革命後のチュニジア民主化に向けた新しい抵抗の形態だと見なす活発で多様性に富んだ新世代の登場を象徴するものである。

 

最近、“WELD EL 15”というラップ歌手が「Boulicia Kleb(警察は犬だ)」という歌をYouTubeにアップしたことを咎められ懲役2年に処されるという事件があった(動画は65万回以上再生されている)。またこの音楽ビデオの監督と主演女優も懲役6か月の判決を受けた。

 

「警察当局は、歌手、とりわけラップ歌手を逮捕するためにマリファナの使用容疑など麻薬取締法を適用しています。」と若き映画監督のアドネン・メデブ氏はIPSの取材に対して語った。同氏は2011年のジャスミン革命を国内からドキュメンタリー記録した人物として知られている。

 

また、貧者を意味する「ズウェルワ」という名前のグラフィティ(落書き)集団のオーサマ・ボアジラ氏とチャヒーン・ベリチェ氏は、「民衆は貧者への権利を求めている」という落書きを工業団地の壁に書いたという罪で、昨年11月3日に逮捕された。4月10日、2人に評決が下り、「公共物」を傷つけた罰金として、それぞれに50ドルの支払いと壁の掃除が命じられた。

 

これに対して、「ゼウェルワ」は、この裁判をベン・アリー時代の手法を髣髴とさせる「政治裁判」だと批判した。

 

また最近は、内務省前がこうした文化的な抵抗活動が行われる最も有名な場所の一つとして注目を集めるようになっている。毎週水曜日になると、左翼「民衆愛国党」党首であったチョクリ・ベレイド氏の暗殺(2月6日)に抗議する人々がこの地で座り込みの集会を開くのだ。画家でチュニジア芸術家組合のアモール・ガダムシ事務局長は、「誰がベレイド」氏を殺害したのかという我々の問いに内務省が応じるまで、毎週金曜日にここに座り込んで要求をし続けていきます。」とIPSの取材に対して語った。

 

ガダムシ氏は、「ベレイド氏の暗殺は暴力が悪化してきている環境の中で起こった最悪の事件で、国中がショックを受けました。私たちはチュニジア政府に事件の真実を究明し、犯人を見つけ出すよう求めています。」と語った。

 

芸術家らは、ベレイド氏の死を悼んで同氏が暗殺された自宅の前に建てた同氏の像がサラフィ―主義者によって破壊されたのを契機に、毎週水曜日の内務省前での座り込み抗議デモを始めた。ガダムシ氏は、国内各地に落書きや先の革命を讃える歌詞がついた政治的ラップ音楽が急速に広まっている現状を指摘して、「今や文化こそが私たちの抵抗の手段なのです。」と語った。

 

彼らがあえて政府の建物を選んで抗議活動を行っている現象は、与党「アンナハダ党」に対する不信感が高まってきていることを物語っている。穏健派イスラム政党である「アンナハダ党」は、2011年10月に行われた政変後初の制憲議会選挙において勝利を収め、左派の世俗派政党(共和国評議会とエタカトル)と連立政権を樹立した。

 

しかし連立政権は、その後宗教過激派による跋扈を許してしまっているとして、批判に晒されるようになっている。

 

こうした過激集団の一つに「革命擁護連盟」(LPR)という集団があり、政府と親密な関係や、野党やチュニジア労働総同盟UGTT)の活動家らとの多数の衝突が広く知られている。

 

またLPRのメンバーは、2012年10月にチュニジア南部の都市タタウイヌで起こった地元政党党首ロフティ・ナクボウ氏の撲殺事件やベレイド氏の像の破壊に関与したことを認めている。

 

「彼ら(=LPRの構成員)は、アンナハダ党の名の下に活動しています。すなわち彼らはアンナハダ党出身あるいは党に近い者、ないしは、アンナハダ党が雇った元受刑者や同党に魂を売った者達なのです。」と、労働党のスポークスマンであるジラーニ・ハマニ氏はチュニジア・ライブ紙が1月に行った取材において語っている。

 

政府はこうした主張を退けているが、チュニスの人々はLPRはこれまで犯罪行為を犯しても当局に罰せられたことがないと指摘している。またUGTTも再三にわたってLPRの解体を求めているが、未だに実現していない。

 

政府が暴力を見て見ぬふりをする中、多くのチュニジア人は、想像力を駆使した非暴力の抗議活動に訴えるしか選択の余地がないと感じている。

 

こうしたなか、先の革命の際と同じく、インターネットが果たす重要な役割に注目が集まっている。活動家らは、サラフィ主義者の一団が、チュニスのメイン通りであるハビブブルキバ通りで「世界演劇デー」祝っていた芸術家らを攻撃した2012年2月25日を、今に続く文化戦争の発端と考えている。目撃者がIPSに語ったところによると、現場にいた警察官たちは、暴徒たちが芸術家らを襲う中、暴徒を支援するか、傍観を決め込んでいたという。

 

またハーレム・シェイクその他の文化的抗議を示す動画は、ネット上で急速に広まり、時には主流メディアからの関心さえも惹きつけてる。

 

一方、チュニジアの若者たちは、文化的抵抗運動を引き起こす発端となったハビブブルキバ通りを何度も封鎖し、治安部隊に対する抵抗意志を示すため、通りの真ん中に座り込んで読書をするなどの抗議行動を起こしている。

 

また同じような調子で、“Art Solution”を名乗る一団は、バーリ・ベン・ヤーメド監督のもと、ダンサーたちが、国立劇場の前や、ベルベデーレ庭園、カスバー広場、貧しいチュニスの郊外など、考え付く限りのあらゆる「公共の場所」で踊りを披露する抗議キャンペーンを開始した。

 

これには、しばしば見物人や通行人が踊りに加わり、先の革命初期段階に見られた自然発生的な抗議集会の雰囲気が作り出されている。

 

「踊りは単に非暴力的な抗議の方法であるというだけでなく、身体は解放とよき生(健康と幸福な状態)の表現でもあるのです。」と作家のジャミラ・ベン・ムスタファ紙は語った。(原文へ

 

翻訳=IPS Japan

 

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