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INPS JAPAN   IDN-InDepthNews - UN INSIDER

│エジプト│クーデターではなく、継続する革命の進展にほかならない(I.セラジェルディン・アレクサンドリア図書館長)

【カイロIDN=イスマイル・セラジェルディン】

 

エジプトの民衆は、またもや独自のやり方で変革の歩みを進めようとしている。数百万人の民衆が街頭に繰り出し、18日間でホスニ・ムバラク政権の30年に及ぶ支配を終わらせた2年前の出来事は世界を驚嘆させたが、彼らはふたたびエジプトの街頭や広場に舞い戻り、就任後1年が経過したばかりのムハンマド・モルシ大統領の治世を終わらせたのである。

 

モルシ博士は、ムバラク追放後18か月に亘ってエジプトを統治した軍事暫定政権が組織した、自由で公正な選挙において選出された、初の民間人大統領である。当時人々は、選挙の実施と、2012年7月1日に軍からモルシ大統領への権力移譲がなされたことを喜んだ。

 

しかしまもなくして、モルシ政権の一連の政策が明らかになると、ほとんどのエジプト国民にとって、モルシ政権は国をまとめるよりも(支持母体の)ムスリム同胞団の利益に奉仕するものだと映るようになっていった。同胞団とそれが創設した与党「自由と公正党」は、エジプトのあらゆる政治勢力を阻害した。そしてその中には、エジプトのイスラム国家化というビジョンを大枠で共有するサラフィ運動のイスラム主義者も含まれていた。

 

エジプトの方向性を変えたいという願いを、狭量な課題を追及する同胞団と与党のエリートに打ち砕かれ、中には裏切られたとさえ考えた民衆は、署名を集め、抗議活動に平和的に集うという、民主的でもっぱら平和的な戦術に再び訴えねばならないと考えた。短期的に見れば、暴力沙汰も噴出し、紛争も継続すると思われるが、エジプトの民衆は、包括的で適切に機能する本物の民主主義を作り上げ、祖国と国民のための新時代を切り開いていくことを望んでいる。

 

歴史的前例

 

約100年前の1918年末、サアド・ザグルール氏率いるエジプトの民族主義指導者らは、第一次世界大戦終結に際して開かれたパリ講和会議において、英国の占領からエジプトを独立させる必要性を訴えることを望んでいた。彼らは、個人で声明に署名した数十万人を代理してエジプトを代表することで、英国に対して自らの正統性を証明したのである。そこにはエジプトの民衆の意思が、明瞭かつ民主的に示されていた。しかし英国はこの意思を無視し、サアド・ザグルール氏と彼の仲間をマルタ島に追放した。この暴挙に、エジプトの民衆は街頭に繰り出し、広範な範囲で(英国占領当局に対する)市民的不服従が展開された。その結果、英国は処分を撤回し、ザグルール氏とその仲間をエジプトに呼び戻すとともに、エジプトの独立を1922年に承認した。エジプトは、1923年憲法をもって、その後30年にわたる自由主義的な多党制民主主義を開始したのだった。

 

第二の風を受けた革命

 

2011年1月25日の革命は美しく平和的なものだった。しかし、それに参加した多くの人々にとって、革命後の事態の進展は期待を裏切るものだった。今回彼らは、「中道的な修正」をなすことを決意し、革命精神に第二の風を吹き込んだ。

 

イスラム主義者らは、6月28日の大規模デモや、モルシ大統領に反する者は背教者であり抹殺されるべきと警告するテレビ放送など、様々な脅迫戦術を展開したが、民衆は動揺せず、連日数百万人が街に繰り出してきた。それは「怒りの日々」ではなく概して「平和的抗議の日々」であり、国民が一体化し確かな道徳的壮大さを見せつけた場であった。

 

偶然にも、モルシ大統領が任命したイスラム主義者の文化大臣は、芸術家や知識人に対する全面戦争を仕掛けている最中であった。これに対して彼らは、文化省の建物を閉鎖し、街頭演劇から詩の朗読に至る街頭パフォーマンスを繰り広げることで反撃した。すでに、オペラは閉鎖され、バレーは禁止され、国立図書館・史料館・音楽保存館長や文化高等評議会議長が解任され、これら組織の職員が(大臣に対して)ストライキに打って出ていた。アレクサンドリア図書館はおそらく、多かれ少なかれ普通どおりに、妨害を受けずに開館し機能していた唯一の公的文化機関であった。そしてまた、それを取り囲む人間の鎖がなくても、図書館に投石する者はいなかったのである。

 

実際今回は、警察署や公共の建物が標的になったのではなかった。この数か月間、標的となったのは、ムスリム同胞団やその政治政党である「自由と公正党」の本部だった。多くの建物が暴動参加者によって襲撃され、焼き打たれた。のちに警察が「自由と公正党」や同胞団自体の中央本部に隠し置かれた武器を発見したが、同胞団などは自衛のためだったと主張している。

 

国軍は、共通の土台を真剣に探るよう何度も大統領に要請したが、「妥協しない」「ボスは私だ」という回答しか得られなかった。一方、普通の市民たちが個人で署名した声明に表現された民衆の意思と、エジプト全土で2000万人にも及ぶと推定される巨大な群衆の出現を目の当たりにし、大統領の「妥協しない」姿勢を拒絶し、これら国内諸勢力の指導者らと協力して大統領を失墜させたのであった。つまり、国軍はそれを単独で成したのではなかった。

 

エジプト最高憲法裁判所長官コプト教会の教皇シェイク・アズハール(スンニ派法学最高権威者)、ヌール・サラフィ党、モハメド・エルバラダイ元国際原子力機関(IAEA)事務局長、その他の運動の代表らが、国軍の指導者らとともに、モルシ大統領を追放するコミュニケを起草し、コミュニケ読み上げにあたっては全員がその場に同席したのである。そして、テレビでコミュニケを読み上げた直後、声を上げたのである。

 

これはクーデターではない

 

モルシ大統領の支持者らは、これは民主的に選ばれた指導者に対する軍のクーデターだと主張し、諸外国に対してその認識の下に対応するよう要請している。しかし、これはクーデターではない。少数の共謀集団がこれを仕掛けたわけではないし、そこには、何ら秘密めいたものはなかった。国軍は単に、同胞団や与党「自由と公正党」の脅威に屈せず、6月30日を指定して街頭に繰り出した圧倒的大多数の民衆の意思と連携しただけだった。

 

これがクーデターの定義である:

 

「政治において突如として決定的な物理的力が行使されること。とりわけ、既存の政府が小集団によって暴力的に転覆されたり転換させられること」―メリアム・ウェブスター

 

「(フランス語で「国家に対する一撃」)共謀集団による既存の政府の、しばしば暴力的な突然の転覆のこと。その成功は計画の秘匿とスピードに依存する」―コンサイス・エンサイクロペディア

 

この定義がエジプトで起こった事態にほんのわずかでも引っかかっていると言えるだろうか?「タマルード」(反乱)というスローガンの下、若い活動家らによるキャンペーンとともに数か月前に始まり、数千万人の人々が、現在の支配者の下野を主張し、エジプトの個人による約2200万もの署名を集めることで平和的に自らを表現し、そのことを証明するために、6月30日に(タハリール広場だけではなく)エジプト各地の公共の場所に集う、と訴えてきたのである。はたして彼らはそれを実現し、数百万人が集ったのである。

 

サバ缶……

 

私はデモ参加者の一人一人に、モルシ博士が合法的で公正な選挙を通じて大統領になり、いまなお任期中にあることについてどう思っているか尋ねてみた。すると1人目は、力強い民衆の知恵が詰まったシンプルかつ直接的な表現でこう答えてくれた。「仮に私がサバの缶詰を買ったとしましょう。ところが開けてみると中のサバが腐っていた。あなたはそれでも、私がそのサバを食べるべきだと思いますか?」さらに2人目は、「彼らが1年間でエジプトに与えた被害は十分なものでした。あと3年でどれだけの被害が発生することになるか、黙って傍観しているわけにはいかないでしょう。」と語った。

 

3人目(知識人)の人は、「だから何だ?アドルフ・ヒトラーは自由選挙で政権に就いたではないか。もしドイツ国民がヒトラーと国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)を1年で追放していたら、世界はもっとよい場所になっていたに違いない。」さらに4人目はこういう。「私たちはモルシ博士に投票したけれども、今は『野に下れ』と言っている。」一方5人目(知識人)はこう言う。「定義上、統治者の正統性とは、被統治者の同意によるものです。つまり、定期的に選挙をやるのは、同意を定期的に表明できるようにするためのものなのです。モルシ博士は被統治者の同意を失った。人々は圧倒的に自らの意思を示したのですから、モルシはただ辞めるべきなのです。」さらに6人目は、「そう、選挙だ。しかし、たった1人の人間、たった1票、たった1度かぎりではなくてね。」と語った。

 

抗議参加者のメッセージは明瞭であり、私は「サバの缶詰の話」がそれをもっともよく表していると思う。

 

概観

 

これは、誰も―繰り返すが誰も―まだ見たことのない見事な革命であった。名もなき若者のリーダーたちによって(ふたたび!)組織されたこの運動は、ムバラク政権を終わらせた群衆よりも巨大であり、エジプト全体を揺るがした。運動は、圧倒的多数の個人の署名(推定2200万人の個人署名)によって正統性を与えられた。集結を約束した日である6月30日には、群衆はあらゆる都市に集った。それに対してムスリム同胞団とその支持者は、参加者を全土からバス輸送しながらも、カイロの2か所の広場においてわずか2団の(比較的)小規模なデモ隊を集めることができただけだった。

 

これは、国旗を掲げ自由と民主主義を要求する、概して平和的なデモにおいて「民衆の力」が示された前例のない出来事だった。今日、ムバラク追放後に言われていた、あの時の巨大な群衆はイスラム主義者が革命に加わったから可能だったのだという主張は誰も言うことができない。

 

これは「クーデター」ではない。裁判官や弁護士、国軍、警察、(コプト教会)教皇やシェイク・アズハール(スンニ派イスラム法最高権威者)を含めた宗教的指導者、市民社会、ムスリム同胞団系の政党を除くほとんどの政党、芸術家に知識人、そして、メディアの圧倒的多数の記者らが、イスラム主義者とエジプトを「イスラム共和国」にしようという彼らの理念をきっぱりと否定したのであり、エジプトの民衆が、3年後にそれを主張するまで待つことはできないと表明したのである。

 

またもや、軍は民衆に銃を向けることを拒否し、今回は、民間の武装集団にそれを認めることもしなかった。これはクーデターではない。これは、第二の風を受けたエジプトの革命であり、その道を正し、この歴史ある土地に自由を新たに誕生させようとするものであった。

 

我々は今回、現在の憲法とそれが「押し付けられて」きたやり方に異議申し立てをしつつ新たな選挙に向かうのではなく、まずは正しい憲法を十分な時間をかけて起草し、その憲法に照らして次の選挙に向かうことだけを望んでいる。我々は、追放された大統領の支持者らが、時計の針を巻き戻すべく暴力に訴えることがないようにとだけ願っている。

 

そしてまた、すべてのエジプト国民が、国民的和解を行い、よりよい未来に向けて協力すべき時である。しかし、自らの手に2度までも事態を掌握したエジプトの民衆は、何が起きようとも、自らの希望を誰にも無視させないと誓っている。これらの群衆のうちにあるあらゆるエジプト国民の行動が今日、ウィリアム・アーネスト・ヘンリーの『不屈(インビクタス)』の言葉を具現している。(原文へ

 

門がいかに狭かろうと

 

いかなる罰に苦しめられようと

 

私が我が運命の支配者

 

私が私の魂の指揮官なのだ

 

 

翻訳=IPS Japan

 

※筆者はエジプトの文化的中心のひとつであるアレクサンドリア図書館長で、IDN編集諮問委員会の委員。世界銀行元副総裁、国際農業研究諮問グループ議長。さまざまなテーマに関して、60冊以上の書籍・研究論文、200本以上のペーパーがある。カイロ大学理学士、ハーバード大学修士・博士、その他、33の名誉博士号を受ける。

 

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