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│パキスタン│紛争地の子どもたち

【国連IPS=スデシュナ・チョウドリ】

 

マララ・ユサフザイ(16歳)さんと、ムハンマド・カシム(23歳)さんには多くの共通点がある。いずれも、長年過激主義とテロが蔓延ってきたパキスタンの最辺境地(ユスフザイさんは北西部のスワット渓谷、カシムさんは北部パンジャブ州チャクワル)の出身者だ。

 

ユスフザイさんは、女子教育を否定するタリバンの圧力に屈することなく、公然と教育の権利を追及した。カシムさんも、ユスフザイさんのように自身が教育を受ける権利を追及するとともに、村の少女らにも教育を受けさせようと、友人らと寄付を募り、村に女子中学校を建設した。

 

ユスフザイさんは、7月12日に国連本部で行ったスピーチの中で、「過激主義を信奉する人々は、昔も今も本とペンを恐れます。それは、彼らが教育の力を恐れているからなのです。」と語った。

 

カシムさんも同意見だ。「都市部の住民がタリバンの標的にならないのは、文盲率が高い辺境地とは違い、住民が教育を受けているからです。」と、カシムさんはIPSの取材に対して語った。

 

ユスフザイさんとカシムさんの主な共通点は、両者とも紛争地に生まれ育ち、教育への熱い情熱を抱いている点である。

 

ユサフザイさんは、女性にも教育の権利があることを主張したことが原因でタリバンに銃撃され、頭にけがを負ったが奇跡的に回復した。中学生が標的となったこの襲撃事件とその後の経緯については、世界中で報道された。

 

カシムさんは、友人からの携帯メールで、ユスフザイさんが襲われたニュースを知ったという。以来、カシムさんは友人らとともに、タリバンによるこの襲撃に抗議する集会を組織し、ソーシャルメディアを駆使して、パキスタンにおける女子教育への一般民衆の理解を高める運動を展開してきた。

 

カシムさんとユスフザイさんは、数日前、ニューヨークで初めて直接対面した。カシムさんが空港でユスフザイさんを見かけたときには、嬉しさで胸がいっぱいになったという。「私は彼女の健康状態について尋ねました。すると彼女は、元気で暮らしており、学校では主要テーマとして地理と歴史を選択する予定だと言っていました。」とカシムさんは語った。

 

黄色のTシャツとジーンズ姿で取材に応じたカシムさんは、しっかりとした自己の信念を持った青年だ。パキスタンの辺境地で育った彼には、一つの夢があった。「それはエンジニアになることです。」とカシムさんは言う。

 

カシムさんは、「マララ・デー」を記念するイベントに出席するためにニューヨークの国連本部に世界中から集まった若者1000人のうちの一人だ。

 

国連の潘基文事務総長は、女性にも教育の権利があると主張してタリバンの圧力に屈しなかったユサフザイさんの勇気を称えて、7月12日を彼女のファーストネームを冠した「マララ・デー」とした。

 

今回カシムさんは、女性教育への支持を表明するためにこの国連イベントに参加した。パキスタンの著名な権利擁護団体「子供の権利保護協会(SPARC)」が発行する2012年版「パキスタンの子ども白書」によると、同国では2500万人近い青少年が学校に通えない状況に置かれている。

 

カシムさんにとっても、彼が望んでいたような教育機会を得ることは容易ではなかった。彼は小学校に5年間通った後、父親の指示で村のマドラサ(イスラムの宗教学校)に編入させられた。

 

「マドラサの教師たちからは、公立学校の通常教育など受ける必要はないとよく言われたものです。マドラサからの圧力は父にもかかっており、父もついに抗しきれず、私を公立学校から辞めさせてマドラサで宗教教育を受けさせることにしたのです。」

 

しかしカシムさんは、それでエンジニアになる夢を諦めたわけではなかった。当初彼は、マドラサでの宗教教育と普通教育の学習をうまく調整してやっていけると考えていた。

 

カシムさんは、「マドラサでの生活は厳しいものでした。」「マドラサには週に6日通いました。しかし金曜日はイスラム教の休日にあたるので、この日に(以前の)学校に行って1週間分の遅れを取り戻そうとしたのです。」と当時を振り返った。カシムさんが村のマドラサに編入したのは、米国同時多発テロ事件(2001年9月11日)が勃発する数か月前のことであった。

 

「当時私は11歳か12歳の少年で、タリバンは私たちのヒーローでした。誰もが尊敬していたのです。」

 

「タリバンが、実は人間にやさしくなく、愛国的でもないということに気付いたのは、もっとあとになってからでした。」

 

「タリバンは罪のない女性や子どもを殺しており、人々は次第に、タリバンは支持するに値しない連中だということに気づき、離反していったのです。また、彼らは(本来あるべき)イスラム教徒ですらなかったのです。」とカシムさんは語った。

 

結局、カシムさんは、マドラサでの勉学から得るものはないと確信した。

 

「世間では、マドラサでは、生徒らは体罰にさらされ気がおかしくなるという噂が流れていました。現実は、噂通りというわけではありませんでしたが、生徒たちが教師に殴られたり洗脳されたりするという事実はありました。しかし私の場合、ここでの教育が私の求めているものではないということは、当初からはっきりと分かっていました。」

 

カシムさんは両親との口論の末、なんとか説得し、公立学校に通うことを許してもらった。

 

「将来の夢を叶えるには、それが唯一の方法だったのです。」とカシムさんは語った。

 

カシムさんは10年生(高校1年に相当)になるまでは村の公立学校に通い、近隣の都市の学校に転校した。その後奨学金を獲得し、現在は首都イスラマバードの工学系大学に通いながら、パートタイムで企業に勤めている。近年パキスタンが大洪水に見舞われた際には、積極的に被災地を回って救援活動にも従事した。しかしカシムさんは、将来もっと大きなことを成し遂げたいと、さらに研鑽を積んでいる。

 

「私は故郷の村の子どもたちが勉強できるような短期大学を村の近くに設立し、それを数年で総合大学にしたいという夢があります。」

 

カシムさんは、教育を受けることができた自分の経験を、故郷の村のすべての少女たちにも分かち合いたいと決意している。

 

またカシムさんは、今回の国連イベントへの参加について、自分が地元を代表して国連まで旅することができたことは、故郷の人々にとって大いに刺激になるだろうと想像しつつも、「リスクも孕んでいる」側面もあることを率直に認めた、

 

「(国連イベントが終わって)故郷のパキスタンに帰国し再び現実に直面した時のことが心配です。しかし、これはまたとない機会ですから、私は是非国際社会の前で自分の思いを述べたかったのです。」

 

またカシムさんは、パキスタン政府の役割について、「政府は教育問題に取り組もうとはしていますが、やはり腐敗の問題が大きな障害となっています。ぺキスタンの教育状況を変えるには、深刻な資金問題と並んで、政策レベルで抜本的な改革が断行される必要があります。」と指摘した。

 

国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)最新のグローバルモニタリングレポートによると、世界中で学校に行けない児童の約半数にあたる2850万人が、紛争地帯に住んでいるという。また同レポートは、人道支援援助のうち、教育分野に充当される割合は、2009年の2.2%から2012年には1.4%まで低下していると指摘している。(原文へ

 

翻訳=IPS Japan

 

 

 

 

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