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ネオコンがアルカイダ掃討へのイランの協力を妨害するまで

【ワシントンIPS=ガレス・ポーター】

2001年末から2002年初頭にかけて、米国とイランは、アフガニスタンのアルカイダとそれを支援するタリバンとの戦争に緊密な協力体制にあった…ドナルド・ラムズフェルド国防長官が協力阻止に介入するまでは…と当時関係していた政府高官が明らかにした。

9・11同時多発テロ後、アフガニスタン戦争の準備に当たっていた米政府担当高官らは、タリバン追放とアフガニスタンの安定政権の樹立に、イランの協力を必要としていた。イランは、米国が消極的であった時期に、「北部同盟」による抗争を組織し、武器と資金を供与していた。

「イランはアフガニスタンの重要な影響勢力と親密に接触し、米国との協調において自らの影響力を建設的に活用しようと準備していた」と、当時国家安全保障会議(NSC)の中東問題担当上級幹部であったフリント・レヴェレット氏は、IPSの取材に応えて当時を振り返った。

 
2001年10月、アフガニスタンでの軍事行動を前に、米国務省とNSC高官は、国連アフガニスタン支援ミッションを率いるラクダール・ブラヒミ国連事務総長特別代表の主催で、パリとジュネーブにおいてイラン外交官と秘密裏に会合を持った。「議題は、いかに効果的にタリバンを掃討し、アフガン政権を樹立するかだった」とレヴェレット氏は述べている。

11月中旬にタリバンをカブールから一掃できたのは、主にイランが支援していた北部同盟軍の功績である。2週間後、アフガン各派は国連主催のボン会議で後継政権に合意した。

その会議で、北部同盟は暫定政権の60%のポストを要求、これが他の各派の合意を阻んだ。ジェームズ・ドビンズ米特使によれば、北部同盟代表の説得に「決定的な役割」を果たしたのがイランであり、ボン合意に「テロとの戦争」の文言を盛り込むことを主張したのもイランであるという。

米政府官僚は、アフガンの安定化のみならず、アルカイダの掃討においてもイランと協力の機会があったことを認識していた。2004年10月22日付けのワシントンポスト紙が報じているように、国務省の政策立案担当スタッフが2001年11月末に、アルカイダとの戦いにイランとの協力を図るためより正式な取り決めを提案すべきであるとの提言を論文に記している。

そうした協力とは、すでに国境を越えてパキスタンやイランに移動し始めていたアルカイダの戦闘員や指導者を捕らえるための国境付近の掃討作戦の調整ばかりでなく、イラン政府との秘密情報の交換を含むものだった。ワシントンポスト紙の情報源によれば、CIAも、ホワイトハウスのW・ダウニング・テロ対策担当責任者も協力の提案に同意したという。
 
 
しかし、アルカイダに対するこうしたイランとの協力は、ホワイトハウスと国防総省の反イラン派の優先事項ではなかった。調査報道で著名なボブ・ウッドワードが著書『攻撃計画(Plan of Attack)』に、アフガニスタンを巡る問題を扱うイラン政策に関する省庁間委員会の議長を務めていたスティーブ・ハドレイ国家安全保障担当補佐官が、ホワイトハウスが1月のブッシュ大統領の一般教書演説でイランを「悪の枢軸」に加える意向であることを知った経緯を詳述している。

ハドレイは当初その案に難色を示したが、イランを含める必要があるとブッシュ大統領から直接聞かされた。12月末には、ハドレイは、アルカイダ情報とイランが捕らえたアルカイダ・メンバーの本国送還を求めてイランに圧力をかけるものの、諜報はイランと共有しないことを、国務省、CIA、ホワイトハウス・テロ担当室の提言に反して決定した。

イランがアフガニスタンにおける米国の目的に反対し、テロとの戦いへの協力を拒否しているとして、米政権強硬派が対イラン政策をブッシュ大統領と世論に提示したのは、その決定の直後である。これは、直接関与してきた高官らが実際目にした状況とは正反対のイランの姿であった。

2002年1月11日付けのニューヨークタイムズ紙は、イランがタリバン後のアフガニスタンにおいて米国との戦いにアルカイダ戦士を利用しようと、逃亡するアルカイダ戦士に隠れ場所を提供している、とのペンタゴンと諜報機関職員の発言を報じた。同じ日、ブッシュ大統領は、「イランは対テロ戦争において貢献者でなければならない」と断じた。

「我が国は、テロとの戦いにおいて、『我々の敵か味方か』のドクトリンを掲げる」とブッシュ大統領は述べた。

当時情報に通じていた高官は、「アルカイダの安全な隠れ場所」容疑は諜報機関による正当な分析に基づくものではなかったと認めている。

「その容疑を裏付ける情報は承知していなかった」と、アフガニスタンに関する協力について当時まだイラン高官との接触の中心にあったドビンズ米特使も想起する。「そのような情報があったのであれば、必ず目にしていたはずだ。彼らがアルカイダに隠れ場所を提供していたなどという話は一切聞いていない」

イランはすでに、米国側の要請に応えてアフガニスタン国境の兵力を増強していた。2004年にワシントンポスト紙が報じたように、イランのジャヴァド・ザリフ副外相は、調査報告書を、アフガニスタンを逃亡しすでに拘束されたアルカイダのメンバーと思われる290人の写真を添えて、2月初頭にコフィ・アナン国連事務総長に提出した。

ニュース報道によれば、その後、何百人ものアルカイダおよびタリバン拘留者が、サウジアラビア、アフガニスタン、その他アラブおよび欧州諸国に送還された。

強硬派は、イランはアルカイダのトップ指導者を引き渡さなかったと非難するだろう。だが、米国こそ、アルカイダの問題を話し合うべき高官、すなわちイランの諜報機関と安全保障担当省庁との情報交換をその当時拒否したのである。

また、同じ政府高官が、「イランは、タリバンとの戦争においてアフガニスタンの同盟者に武器を供与してアフガニスタン西部の国境地域において影響力を行使しようとし、これは暫定政権ならびに米政府のアフガニスタンにおける長期的利益を損なうものとなりうる」とタイムズ紙に語っている。

しかし2002年3月、イランの高官は、アフガニスタンの安全保障上のニーズに関する国連会議中ジュネーブでドビンズ特使と面談。ドビンズ特使は、イランの代表団は、タリバンとの長期にわたる戦闘中北部同盟への軍事援助の責任者であった軍司令官を同行していたと当時を振り返る。

司令官は、新生アフガニスタン軍の2万もの新兵のために訓練、制服、装備、兵舎の提供を申し出た。それも、これらのすべては、イランの管轄下での別個のプログラムの一部としてではなく、米国の指導下で行なわれるというものだった、とドビンズ特使は当時の事情を説明する。

「後にイランは、米国への意思表示としてこれを行なったと認めた」とドビンズ特使は語っている。

ワシントンに戻った特使は、アフガニスタンにおける新たなレベルでの協力の機会と捉えたことを政権中枢のメンバーに伝えた。当時のコリン・パウエル国務長官コンドリーザ・ライス大統領補佐官、そしてドナルド・ラムズフェルド国防長官に直接説明したという。特使は「私の知るかぎり、返答は一切なかった」と語っている。

* ガレス・ポーターは歴史学者で、国家安全保障政策のアナリスト。最新の著書『Perils of Dominance: Imbalance of Power and the Road to War in Vietnam(優勢の危険:力の不均衡とベトナム戦争への道)』が2005年6月に刊行されている。)(原文へ

翻訳=IPS Japan

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