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|コンゴ民主共和国|戦禍にまみれ、ようやく訪れた静けさ

【ボゴロIPS=マイケル・ダイバート】

52才の農民マシュー・ニャクファさんは、2003年2月のある朝に起こった出来事をこう振り返る。「連中は銃やナタ、槍や矢で人間を殺していた。人がこっちの方向に走ってくるのが見えて自分も逃げたんだ。でも、3人の子供が家の中で殺されてしまった」。

イトゥリ地方の中央に位置するここボゴロで、この時推定200人が虐殺された。ヌギティ族・レンドゥ族が中心となった武装集団「イトゥリ愛国抵抗軍」(FRPI)がかやぶきの屋根と土壁で作られた家々を破壊し人々を殺して回ったのだ。ボゴロはゲゲレ族・ヘマ族が中心の「コンゴ愛国者同盟」(UPC)の根拠地であった。

ボゴロの虐殺は、金や木材などの天然資源が豊富なイトゥリ地方で数多く起こった殺害行為のひとつである。ウガンダやルワンダも介入したこの内戦は、1998年から2003年まで続いた。

 
中心的だったのは、レンドゥ族とヘマ族の争いである。両民族は、ベルギーによってコンゴが植民地化される以前、互いに共生していた。農耕民族であったレンドゥは牧畜民族であったヘマに土地を貸し与えていた。

しかし、1880年代にベルギーによる侵略が始まってからは状況が一変した。ベルギーがヘマを重んじたためにレンドゥの間に不満が募るようになったのである。

1960年にベルギーから独立し、1965年から97年にかけて成立していたモブツ独裁体制の下でも、この状況はそれほど変わらなかった。というのも、モブツ政権下で農地問題を掌握していたカロギ農務大臣がヘマ出身であり、ベルギー植民者が保有していた土地の再分配に際して自民族を優先したからである。

現在のところ、軍縮・動員解除・再統合(DDR)プロセスが進行しかつての軍閥も選挙政治に舞台を移しているため、事態はいちおう沈静化している。

カトリックの聖職者であり、地域における和解を進めることを目的とした「正義と平和のための委員会」の代表でもあるアルフレッド・ブジュさんはこういう。「人々は、自分たちが操られて特定の人間の利益のために使われていたことに気づいたのです。この状況ではすべての人間が敗者であることがわかったのです」。
 
 
他方で、元軍閥指導者たちへの裁きが進行しつつある。昨年10月に逮捕されたFRPIの指導者ジャーメイン・カタンガ氏は、国際刑事裁判所(ICC)において戦争犯罪と人道に対する罪に関して裁判を受ける予定だ。さらに、レンドゥ系「民族主義統合主義戦線」(FNI)のマシュー・ヌグジョロ氏、UPCのトーマス・ルバンガ氏も裁判を待っている。FNIのフロリバート・ヌジャブ氏もキンシャサで身柄を拘束されている。

これについて、FNIのシルベスター・ソンボ氏はこう語る。「もしイトゥリに平和が訪れるとすれば、それは国際レベルや地域レベルで裁判が行われるためではない。イトゥリの子供たちが自ら平和を作り出す方法を見つけ出すためだ」。

FRPI
の部隊が散発的に政府軍と戦闘を繰り広げていたり、ウガンダの利害関係者が資源利権がらみで軍閥に支援を続けているなど、好ましくない動きもいまだにある。

しかし、10年近くにわたる激しい内戦を経て、人々は、大規模な戦闘を避けることにもっとも強い関心を注いでいるようである。

コンゴ民主共和国における内戦の歴史とその後処理の問題について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan

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