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|パキスタン│テロの終わりの始まり?

 

【シンガポールIDN=イシュシャク・アフメド】

 

パキスタンにおけるタリバンの指導者バイトゥラ・メスードの死によって、テロに対する戦いは新たな段階を迎えた。それは、パキスタンのみならず、南アジア、いや世界全体に対して大きな意味を持っている。メスード司令官は、8月5日、南ワジリスタンの義父の家にいたところ、米国の無人攻撃機によって殺害されたとされている。

メスード司令官は、パキスタン政府にとって「最大の敵」だとみなされていた。米国の無人攻撃機によってメスードが死んだという事実は、米国の中央情報局(CIA)とパキスタンの統合情報局(ISI)が情報を緊密に共有していたことをうかがわせる。


メスードの人生の軌跡は、「ジハード」に参加するようになった他の多くのイスラム教の若者たちとそれほど変わるところがない。彼はおそらく、1989年にソ連がアフガンから撤退した後に兵士となったはずだ。メスードはマドラサ(イスラム神学校)にもいた。

 
メスードは、アフガンでタリバン政権を1996年から2001年まで率いていた
ムラー・オマールに対して恭順を誓った。そしてメスードは、2004年ごろから部族のリーダーとして頭角を現し、翌05年初めごろまでには、パキスタンにおけるタリバンの指導者としての地位を確固たるものにしていた。


アフガンとパキスタンにおけるそれぞれのタリバンはそれぞれ緊密に動いているわけではなく、オマールの指導性はタリバン全体に行き渡っているわけではなさそうだ。


パキスタンのタリバンは、スワット渓谷でパキスタン軍と衝突した。200の女子校を破壊し、罪びとに対する石打・むち打ちなどの野蛮な刑罰を下した。


しかし、パキスタン政府はタリバンとの和平を探り、タリバンが支配下の地域でシャリーア(イスラム法)を適用することが認められるようになった。


その和平も長くは続かなかった。タリバンが、その支配をパキスタン全土に及ぼすことをねらっていたからだ。それに、タリバンに厳しく対処せよとの海外からのパキスタン政府に対するプレッシャーも高まっていた。米国はいうまでもなく、2008年11月に
ムンバイでのテロ事件を起こされていたインド政府もそうだった。


直接的なきっかけとなったのは、今年3月にラホールで起こった、スリランカのクリケット・チームに対する攻撃である。これを受けて、5月、パキスタン軍はスワット渓谷のタリバンに総攻撃をかけ、タリバンは敗走した。しかし、それによって200万人の避難民が生まれるなど、犠牲も大きかった。


しかし、メスード司令官が死んだいまも、1.5~2万人のタリバンがパキスタン国内で活動していると見られている。


翻訳/サマリー=IPS Japan


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