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|旧ユーゴスラヴィア|死後30年、今なお人々の郷愁を誘うチトー

Tito

【ベオグラードIPS=ヴェスナ・パリッチ・ジモニッチ】

 

今年の5月4日は、多くの旧ユーゴスラヴィアの人々にとって、嘗て同国に君臨したカリスマ指導者ヨシップ・ブロズ・チトーが死去してから祖国の30年の変遷を振り返る記念日となった。

チトーは第二次世界大戦が終結してから35年に亘ってこの多民族複合国家を指導した人物である。90年代の旧ユーゴスラヴィア解体で現在スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィネ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアに住む45歳以上の人々にとって、チトー時代が最良の時であった。

旧ユーゴスラヴィアは1945年以来、あらゆる側面で着実に進歩していたと思います。当時の私たちの生活水準は現在と比べると遥かに高かったし、私たちはどこに行っても歓迎されたものです。」とベオグラード出身の元小学校教師、タニヤ・ドクマノヴィッチ(75歳)氏はIPSの取材に応じて語った。「しかし90年代のユーゴ内戦以来、私たちセルビア人は世界の嫌われ者となってしまい、今や多くの一般市民が貧困に喘ぎ続けているのです。」

ドクマノヴィッチ女史は多くの一般市民と同様、チトーの死後も10年近く継続していた旧ユーゴスラヴィアの体制が、なぜ、そして如何にして血みどろの内戦へと変貌していったのか理解できない。

 
しかし、歴史家や専門家にとって、その理由は単純明快なものである。

「チトーは相手の心を掴む天才でした。」「彼は一方で西側先進国を、第二次世界大戦中の反ファシスト解放運動を通して、そして開発途上諸国を、1960年代初頭の非同盟運動を通じて魅了したのです。」と、プレドラク・マルコヴィッチ教授はIPSの取材に応じて語った。

「また旧ユーゴ国内では、社会主義が国民のニーズの全てを面倒みるというリベラルな独裁体制のもとで、国民は快適な生活を享受できたのです。つまり、旧ユーゴ国民がチトー時代を郷愁の念をもって振り返る時、彼らは過去の安心と安全が確保された時代を懐かしんでいるのです。」

社会学者のアレクサ・ドゥジラス氏は、「チトー人気は、彼が旧ソ連の独裁者スターリンに抵抗して旧ユーゴを決して旧ソ連の衛星国にさせなかったことにも関係しています。旧ユーゴ国民はお陰で他の共産圏の国々の国民とは異なる生活を享受することができたのです。」と語った。

ドゥジラス氏によると、「チトーによる統治の功績はまた、社会正義、生産過程と利益分配における労働者の参画実現、それと揺るぎなき反ファシスト姿勢にも見出すことができます。」

「一方で、チトーの下では20世紀に実現したいくつかの理念は顧みられませんでした。その中でも、とりわけ、『法の統治』と『人権尊重に基づく社会構築』が欠落していたことは重要な点だと思います。」と、ドゥジラス氏は付け加えた。

チトーは、反体制派の人々に対して(他の独裁者に比べて)比較的寛容だった。彼の議論の余地のない人気に水を差す恐れがあると見られたものや、共産党の公式政策に反対したものは、数年投獄されるか、公的な資格を剥奪された。

ドゥジラス氏の父ミロヴァンは第二次大戦中と戦後数年に亘ってチトーの副官を務めたが、後にチトーを批判したことから何年にも亘って投獄された。そのため、アレクサは海外で亡命生活を余儀なくされた。

ドゥジラス氏は、「チトーの死後、もし共産党独裁体制でなく十分な近代的政策や民主化が実施されていたならば、旧ユーゴの解体という事態は必ずしも既定路線ではなかったのではないかと思います。」と語った。

「旧ユーゴは人工的な産物ではありませんでした。結果的には、国家の解体と血みどろの内戦状態というあってはならない事態が起こってしまいました。それでも私は、チトーに対してではないにしても旧ユーゴ時代に対して今でも郷愁を感じるのです。」とトゥジラス氏は語った。

旧ユーゴ時代やチトーに対して郷愁を感じることは、今でもなお旧ユーゴ構成国の一部においては賛否両論を呼ぶ問題である。

とりわけセルビアの首都ベオグラード(旧ユーゴの首都でもある)から侵入してくる連邦軍に対する戦争を経て独立を勝ち取ったクロアチアでは、この話題はタブーである。しかしながら、政府の公式方針と市民の一般感情には相違がみられる。

「今日の現状と比べると、チトー時代は、あたかも神が地上を歩いているかのごとく、遥かに素晴らしいものでした。」と、引退前は小売業を営んでしたニヴェス・ルーチェフ(65歳)氏は語った。

「もちろん(旧ユーゴ解体後に)独立したクロアチアに住むことはいいことだと思っています。しかしチトー時代と今では大きな違いがあるのは事実です。チトー時代に容易に入手できたものが、今では手に届かないものとなっています。例えば自分を養ってくれる子供に恵まれていない(私のような)定年を過ぎた市民が、年金だけで生活をしていくのは大変難しくなっています。」と、ルーチェフ氏は語った。

「私は今85歳になる母を支えています。そしてまもなく娘が私を支えなければならない時がくるでしょう。一方で私たちは、こっそりと過去の財産-その殆どはチトー時代のもの-を盗んで裕福になった人々を見てきました。」とルーチェフ氏はザグレブからIPSによる電話取材に応じて語った。

チトーの親族でさえも、(旧ユーゴ解体後に広がった)社会不正と資本主義へ適応する過程で顕在化してきた様々な困難等の影響から免れることはできなかった。

チトーの孫にあたるヨシップ・ブロズ(63歳)氏は、祖父から何も相続していない。「祖父(チトー)は、全てを人民のもの、国家のものであるべきと考えていました。彼の知名度は、旧ユーゴ諸国よりもむしろ非同盟諸国での方が高いと思います。例えば、セルビア政府関係者が非同盟諸国への復帰交渉に関係国を訪問すると、先方から必ずといっていいほど挨拶の中で『ユーゴスラヴィアのチトーなら、もちろん知っていますよ。』と声をかけられるのです。」と、ブロズ氏は語った。

「私は、チトーが国民のために何を残したか旧ユーゴ国民が見学できるように、チトーが生前使用していた縁のものを一か所に集めて一般公開すべきだと思っています。例えば全ての旧ユーゴ構成国に旧チトーの邸宅がありますが、これらは民衆に属するもので彼の財産ではありませんでした。しかし今ではこうした施設は、地元指導者や資産家によって接収されてしまっているのです。」

若い世代にとって、両親が話すこと以外にチトーを知る機会はあまりない。また歴史教科書におけるチトーに関する記述も、旧ユーゴを継承したそれぞれの国のチトー観によりまちまちである。

若者のチトー観は、サラエボ出身のハジラ・サマロヴィッチ(22歳)の次の言葉に集約されている。「両親や祖父母がよく話題にする人ですね。僕にとってはチトーについて言われてもどう考えていいか分かりません。あえて言えば、両親、祖父母が若かりし頃や古き良き時代を懐かしんで話す話題の人物といったところでしょうか。僕にってはそれだけのイメージでしかありません。」(原文へ
 
翻訳=IPS Japan浅霧勝浩