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|ルワンダ虐殺|レイプ被害者のトラウマ、依然強く

Claudine Umuhoza a survivor of Rwanda’s genocide believes that the country has a positive and united future. Credit: Fabíola Ortiz/IPS【キガリIPS=ファビオラ・オルティス】

クラウディーン・ウムホザさんの息子は4月1日で19歳になる。彼はルワンダ虐殺の際に性暴力の被害を受けた女性から生まれた数千人におよぶ子どもの一人であるが、公式には母親のように「被害者」としては記録されていない。

100万人近くの少数派のツチ族と穏健派フツ族が命を奪われた虐殺から20年が経過したが、ルワンダ人の大半は、今でも当時のトラウマを引きずっている。1994年の虐殺の中で10万人から25万人の女性が強姦されたとみられている。

ルワンダの首都キガリ付近のガサボ郡在住のウムホザさんは、虐殺の発端となった1994年4月6日のルワンダのジュベナール・ハビャリマナ大統領とブルンジのシプリアン・ンタリャミラ大統領の暗殺事件(首都キガリ上空で両者が搭乗した航空機が撃墜された)当時は、弱冠23歳だった。

この紛争の渦中に、ツチ族のウムホザさんは7人の男性に強姦された。そのうち一人は、彼女の腹をマチェテ(山刀)で刺し、床に倒れた彼女を置き去りにしていった。

しかし、フツ族の隣人が彼女を匿い、フツ族の偽造IDを作ってくれたため、辛うじて逃げ延びることができた。

「命を助けてくれた隣人は、もうルワンダにはいません。彼の家族はモザンビークに移っていきました。私は自分の命を救ってくれたこの隣人にお礼を言いたいです。彼がいなければ、あの時命を失っていたのですから。」とウムボザさんは当時を振り返って語った。

ウムボザさんは、虐殺時に4人の兄弟を含む数人の家族を失っている。

現在43才のウムホザさんは、エイズにも罹患しており、出生の事実を息子に語ってこなかった。

「息子にはまた、本当のことを打ち明けられないでいます。彼は当時私の身に何が起こったのか知らないのです。私は虐殺が収まった後の、1994年9月に結婚しました。」「私は結婚当時、すでに妊娠していました。夫は出産後、子どもが自分の子でないと分かると、この事実を受け入れられず、私の元を去っていきました。」とウムボザさんはIPSの取材に対して語った。

その後、ウムボザさんは再婚しなかった。今日、ルワンダ社会では、強姦の話題はタブーである。

ルワンダ財団の共同設立者で専務理事のジュレス・シェル氏は、「ルワンダは順調に復興を遂げていますが、一方で強姦によってエイズに感染させられた女性は、未だに厳しい差別に晒されています。」と語った。

米国に本拠を置くルワンダ財団は、2008年に設立されたNGOで、2009年から強姦が原因で生まれてきた子ども達150人に対して教育支援を行っている。

シェル氏はIPSの取材に対して、「強姦被害者のうち、圧倒的割合の女性がエイズに感染しています。」と指摘したうえで、「正確なエイズ罹患率は知られていませんが、ルワンダの女性の約25%がNHV陽性とみられています。」と語った。

政府統計によると、ルワンダ人口1150万人のうち、51.8%を女性が占めている。抗レトロウィルス治療がこの国で広く受けられるようになったのは10年前からで、国民健康保険を利用して治療を受けることができる。

「虐殺時の性的暴力が原因で生まれた子供たちの実数を把握することは今後も不可能でしょう。事情が事情だけに、多くの女性が、子どもの出生にまつわる当時の状況を様々な状況から認めたくない、或いは認められないでいるのです。」とシェル氏は語った。

20年前の大量殺戮は、そのあとに生まれた世代にも悪影響を及ぼしている。

ルワンダの若者の多くが、かつてホロコーストの生存者の子どもたちの間で多くみられた「トラウマの世代間連鎖」として知られる現象を経験している。

「これは、母親が自らの経験やトラウマを子どもに語ることができないことから、そのトラウマが子どもにまで影響を与えてしまうというメカニズムです。」とシェル氏は語った。

ウムボザさんのように、多くの被害女性が子どもの出生について強姦が原因だと公に認めていない。しかし子どもたちは、自分の父親が母親の知らない人だということを気付いているのである。

またこうした子どもたちは身分証明カードを取得する際にも問題に直面することになる。なぜなら、身分証明カード申請には、両親の名前を記入しなければならないからだ。

しかしウムボザさんの息子は、「ルワンダ財団」の支援のお蔭で、間もなく高校を卒業する予定である。ウムボザさん自身には、高等教育を受ける機会がなかった。現在同団体は、ウムボザさんと同じ境遇の600人の母親に対して、子どもの授業料や教科書を提供している。

ウムボザさんは、「息子が高校に通えて本当に嬉しいです。彼が学校に通えることが私の念願でしたから。…今は、息子が大学に進学する希望を持っています。」「こうした希望を持ち続けることは私にとって大事なことなのです。大学進学には多くのお金がかかることは分かっています。しかし、以前は息子が高校に通えることなど想像すらできませんでした。機会の扉は突然目の前に開かれるかもしれないのです。だから、希望は持ち続けていくつもりです。」と語った。

彼女の夢は、息子が弁護士になって貧しい人々や社会の片隅に追いやられている人々を擁護することだ。しかし息子は、医者になりたいという自分の夢を持っている。

「息子は、私が病院に治療に通い、痛みをこらえている姿をいつも傍らで見てきましたから、いつか私を治療するために医者になりたいと思うようになったようです。」

エイズで体調が優れずお腹の刀傷が原因で今でも激痛に苛まれているウムボサさんは、軽い家事仕事しかできない。

IPSJウムボザさんは、ルワンダ政府が国家予算の2%を割いて実施している『ジェノサイド生存者支援援助基金』(FARG)を利用して医療治療を受けることができる。今月15日にも首都キガリの軍病院で、お腹の傷を治療する手術を受けた。

「虐殺から20年が経過しましたが、ツチ族の人口構成が特に少ない孤立した地域や遠隔地などで、今でも彼らに対する偏見や差別がみられます。」とシェル氏は語った。

国民統合和解委員会(NURC)が実施した調査によると、少なくとも40%のルワンダ人は再び虐殺事件が起きるのではないかと今でも恐れている。

「当時被害にあったツチ族の人々は、依然としてトラウマに苦しんでおり、フツ族が再び虐殺を引き起こすのではないかという疑心に苛まれています。また、当時虐殺に関与して服役していた囚人らが最近保釈されて社会に舞い戻っている現実も彼らの不安を掻き立てる一因になっているのです。」と国家統一和解委員会(NURC)のリチャード・カナンガ氏は語った。

NURCは1999年に創設され、地域における差別を解消し、対立する人びとの間に和解をもたらす取り組みを続けている。

カナンガ氏は、「和解は継続的なプロセスです。」と指摘したうえで、「和解に何年かかるかは分かりません。我が国には、この人間の安全保障を構築するプロセスを人々がどのように捉えているか検証する調査チームがありますが、息の長いプロセスになることは確実です。つまりこれからさらに20年が経過しても(安全だと思う人が)100%に到達するとは言いきれないのです。」と語った。

「虐殺後に性的暴行の被害者から生まれてきた子どもたちは、ルワンダの暗い歴史の一頁を象徴する存在かもしれません。しかし、こうした子どもたちは、ルワンダの明るい未来を照らす光や希望の象徴でもあるのです。」とシェル氏は語った。

ウムボサさんもそう確信している。

「ルワンダの未来は明るいという希望を持っています。この国の20年前と今を比べてみてください。統一と和解がなされるといいのですが。」「ルワンダの未来は今よりもよくなり、国民は結束しているでしょう。しかしだからと言って国民が、フツ族かツチ族という民族的なルーツを忘れることはないでしょう。ルワンダ人は和解がなったとしても、それぞれの民族的なアイデンティティーを忘れることはないのです。」(原文へ

翻訳=IPS Japan

 

 

 

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