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|アザワド|最後のアフリカ国境戦争が抱えるジレンマ(ウィリアム・G・モスリー・マカレスター大学教授)

【ガボロネ(ボツワナ)IPS=ウィリアム・G・モスリー】

 

4月6日、トゥアレグ人の反乱勢力が西アフリカの都市ティンブクトゥでマリ共和国からの独立を一方的に宣言し、「アザワド」(Azawad)という新国家を樹立したと発表した。しかし、近隣のアフリカ諸国や国際社会は、この宣言を無視するか、あるいは非難をあびせた。

しかし、植民地期にまでさかのぼるアフリカの多くの国境線が恣意的に引かれていること、もし反乱勢力の主張がたんに無視されたならば、飢餓の蔓延するこの地域において紛争がいつまでも続くであろうことを考え合わせると、国際社会は、アフリカの新国家になるかもしれないアザワドとどのように付き合っていくかをきちんと考えていくべきなのではないだろうか。

言うまでもなく、現在のアフリカの国境線の歴史は問題の多いものであった。欧州の植民地宗主勢力は、アフリカ人の全く出席していないベルリン会議(1884~85)で、アフリカを分割し勝手気ままに境界線を引くことを決めた。

 
独立の後も概してそのまま存在し続けたこの国境線は、しばしば部族を分断し、あるいは仲の悪い民族集団をひとつの国に投げ込み、大きすぎたり、小さすぎたり、内陸地に押し込められたりして経済的に生きていくのが困難な国々を作り出した。アフリカ諸国の境界線が引かれたそもそもの問題を考えるならば、現在において、国境線を引きなおす闘争が起きているのも無理のないことである。

国境を勝ち取る決意を固めたトゥアレグ人

表面上は、「アフリカの国境問題」の解決は簡単に見える。機会が訪れたら、民族的により同質的な国家を作るようにすればよいのだ。

しかし問題は、アフリカの多くでは、民族がひとところに固まって住んでいないという点にある。むしろ、アフリカの風景とは、それぞれ別の、しかし同時に共存可能な生存戦略を、さまざまな集団が追求するみごとな豊かさにあるのである。例を挙げれば、農業や遊牧、漁業などだ。

したがって、民族の線に沿って国家を作ろうとすると、たいていは、多数派の民族が他者を圧倒することになる。しかもこれらの国家は、規模が小さく、経済的な多様性にも欠けるため、経済的な能力が低い傾向にある。

アザワド国創立は特段新しいアイデアではないが、国家承認を求める民族領域国家の最新の例ということになる。トゥアレグ人は浅黒の遊牧民であり、歴史的には動物の飼育に依存している。しかし、飼育地域は、アフリカ西部の乾燥地帯であるマリ共和国、ニジェール、ブルキナファソ、アルジェリア、リビアに拡散している。

トゥアレグ人は、より定住的な形態の農業を志向する地域の政府によって周縁化されてきたため、独立国家になることを望んできた。唯一の例外はリビアで、前独裁者のムアンマール・カダフィ大佐は、移民のトゥアレグ人を自身の親衛隊として積極的に登用し訓練を重ねてきた。

問題ある国家誕生

では、樹立を宣言したこのアフリカの新国家はどこへ行くのだろうか?4つの相互に関係ある現象が同時にこのトゥアレグ新国家の誕生を促し、同時にその長期的な見通しを暗くしていると私は考えている。

第一の問題は、マリ共和国トゥアレグ人との関係があまりよくないということだ。マリ共和国では南部の農耕民族が北部のこの遊牧集団を周縁化するという統治の歴史を持ってきた。とくに1960年代初めと90年代初めに大きな蜂起が起こり、その後90年代末に交渉を通じてかなりの和解がみられた。

結果として、マリ共和国政府は北部地域への多額の支援を約束し、キダルという名の新しい州が創設されてトゥアレグ人に大きな代表権が与えられ、トゥアレグ出身の大臣も数名任命された。すべてが完璧ではなかったが、状況は比較的落ちついていた。しかし、カダフィ大佐死亡後、2011年末に重武装のトゥアレグ兵士たちがリビアからマリ共和国に帰還すると状況は一変した。

第二の問題は、アザワド国が、親国家であるマリ共和国がほぼ内破するなかで、住民投票ではなく武力によって誕生したということだ。アザワド解放民族運動(MNLAとして知られるマリ共和国の世俗的なトゥアレグ抵抗集団が、カダフィ大佐の元親衛隊たちによってより強化されることになった。

こうしてMNLAは、マリ共和国北部にある国軍の施設襲撃に成功するようになった。こうした軍事的敗北により、3月22日、選挙をあとわずか数ヶ月に控えて、若くまとまりに欠ける軍事政権によって、民主的に選出された政府(アマドゥ・トゥマニ・トゥーレ政権)が権力の座から追われることになった。

MNLA
は、南部に生じた権力の空白に乗じて、北部のいくつかの主要都市を奪取することに成功し、4月6日の独立宣言を行った。世俗的なMNLAは、マグレブのアルカイダ組織(AQIM)やアンサール・ダインAnsar Dine)といった保守的なイスラム系集団との連携の可能性が取りざたされているが、これら組織とは大義名分を異にしていると自らは主張している。

西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS
として知られる地域経済ブロックによる経済制裁の成功により、暫定的にマリ共和国南部で権力を掌握していた軍事政権は今や権力の座から滑り落ち、統治は文民の手に再び戻った。

国際的に承認された政府が南部の統治に復帰し、近隣諸国がアザワドの独立を恐れている。したがって、ひとつのありうるシナリオは、マリ共和国国軍が、ECOWAS諸国軍隊からの支援を得て、北部領域の奪取に向かうというものであろう。

ティンブクトゥの兵士らがイスラム国家樹立を宣言

第三の問題は、新生アザワド国内の民衆の多数が新国家樹立を支持しているのかどうかはっきりしていないという点である。マリ共和国の北部地域には、ソンゲイSonghay)やフラニ(Fulani)など非トゥアレグ系民族も多く、彼らは特定の民族集団と結びついた新国家に加わることに何の関心もないだろう。

さらに、アザワドの領域については、トゥアレグが明らかな少数派である地域が含まれるなど、依然として論争が続いている。最後に、新国家アザワドの領域内に住んでいるトゥアレグ人の一部の間に、より原理主義的なイスラムに対する恐怖があるかもしれない。あるいは、食料をふんだんに生産し、金や綿を輸出するより裕福な南部地域に接続していない砂漠国家の経済的な将来は暗いと認識しているかもしれない。

第四の問題は、紛争の対象となっている地域は、干ばつの連続と引き続く不安定な情勢のために、飢餓の危機にあるということである。人々は、通常通りの生存戦略を採れなくなっており、こうした状況の中で軍事的に打開しようとしても、人道的な危機をより悪化させるだけであり、根底にある緊張を解きほぐすことにはならない。

武力よりも対話を

よりよいアプローチは、マリ共和国政府と国際社会がMNLAとの対話に進むことである。南部の人々はトゥアレグ人たちの周縁化の歴史を理解する必要があるだろう。

さらにマリ共和国政府は、なんとしても北部を引きとめ続けることが、どの程度重要なことなのか、改めて熟考しなければならない。この事態の真相は、国の南部の人々の多くが、辺鄙で人口の少ない地域を維持するために全面戦争に進むことに価値を見出していないかもしれない、ということなのだ。

アザワドの連合に関して言うと、MNLAは、国の分離は武力によってではなく住民投票によって決められるべきであること(そして彼らはその投票に負ける可能性もあること)を理解しなくてはならない。アザワドが独立国家になるにせよ、今よりは大きな自治権をもつ地域となるにせよ、国際社会がいかなる新生国家を承認することも無下に拒絶するのではなく、MNLAとの対話を始めた方が、これら全ての問題がよく議論される可能性がある。

武力に訴えることは、新国家創設を民主的な手続きで行うことをMNLAが拒否した段階で初めて考えられるべきことである。(原文へ

翻訳=山口響/IPS Japan浅霧勝浩

※ウィリアム・G・モスリーは、マカレスター大学(ミネソタ州セントポール)教授(地理・アフリカ研究)。現在は、ガボロネにあるボツワナ大学の客員教員も務める。1987年以来、断続的にマリ共和国において研究を進めている。

 

 

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