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|グアテマラ|忘れられた大量殺戮の物語

Photo: Memorial to the victims of the Río Negro massacres in Guatemala. CC BY 2.0【ルンド(スウェーデン)IDN=ジョナサン・パワー】

私は1981年にニューヨーク・タイムスの社説面に、中米のグアテマラにおいて、フェルナンド・ルーカス・ガルシア大統領(当時)の直接命令の下で、先住民に対する大規模な残虐が行われていることを伝えるコラムを寄稿した。私は、ガルシア大統領の下でかつて副大統領をつとめたフランシスコ・ヴィラグラン・クレイマー氏より情報を得ていたが、内容は殺戮の証拠を示す決定的なものだった。

私はまた、当時のグアテマラ政府と米国のドナルド・レーガン政権の間の、財政、軍事面における密接な協力関係についてもコラムの中で指摘していた。

Map of Guatemala当時、レーガン氏は、どんなスキャンダルが浮上しても政権に傷がつかない、いわゆる「テフロン大統領」とみられていた。このことは、私がニューヨーク・タイムスに寄稿したコラムで明らかにした証拠もしかりだった。政権からの反応は全く皆無だったのだ。アムネスティ・インターナショナルが殺戮行為を記録した長編の報告書を発表したのは、それから間もなくのことだった。

その後、エフライン・リオス・モントが大統領に就任すると、レーガン政権のエリオット・エイブラムス人権担当国務次官補は、グアテマラにおける人権状況は同政権の下で「大きく改善している。」と報告した。エイブラハム国務次官補はまた、「無実の市民が殺害されるケースは、徐々に減少傾向にある。」と宣言した。しかし、実態はその逆であった。

国軍と政府が運営していた「死の部隊」が最終的に解散したのはアルバロ・アルズ政権下の1996年になってからだった。そして虐殺から40年近くが経過した2013年、リオス・モント元大統領は裁判でジェノサイドの罪と人道に対する罪に問われ、禁固80年の刑が言い渡された。世界的にみても元国家元首が自国の司法制度で、ジェノサイドの罪で裁かれたのはこの事例が初である。検察側は、リオス・モント大統領は最も血なまぐさいレベルになっていた時期に内戦を主導した、と主張した。

SDGs Goal No. 16レーガン政権下、駐グアテマラ米国大使館の外交官らは虐殺現場に足を運び、ゲリラが殺戮を行っているとする国軍の主張を本国に報告していた。秘密解除された外交電文によると、その後2年間に1500万ドル相当の車輛、スペアパーツ、武器が米国からグアテマラ国軍に引き渡されている。

レーガン政権はさらに軍事訓練の支援も行っていた。米議会は1990年にグアテマラに対する軍事支援の禁止を再度決議した(ジミー・カーター政権下で一度禁止決議がなされていた)が、カーター大統領に知らされないまま、軍事支援は秘密裏に継続されていた。また、台湾、イスラエル、アルゼンチン、チリ(後者の二か国は当時軍事独裁政権で、自国でも深刻な人権問題を引き起こしていた)といった米国の同盟国も、グアテマラへの軍事支援を行っていた。

その後進展はあったが、大半の場合そのペースは遅々としたものだった。これまでに先住民の殺害は止んだが、まだ多くの問題が残されている。ジミー・モラレス大統領は虐殺問題に関与していない人物だが、9月4日、汚職撲滅などを目的に国連との合意に基づき設置された独立調査委員会(一部の資金は米国が拠出)の委員長について、入国禁止を発表した。しばらくの間、大統領の家族による汚職容疑が取りざたされていた。また、今年の5月には、モラレス大統領の関与はなかったとされているが、7人の人権活動家が殺害されている。

Claudia Paz y Paz/ By EneasMx - Own work, CC BY-SA 4.0実質的に最初の転換点となったのは、アルバロ・アルス大統領(1996年~2000年)による取り組みだった。2つ目の転換点は53年ぶりの左派政権となったアルバロ・コロン大統領(2008年~12年)による人権弁護士クラウディア・パス・イ・パス女史(44歳)の検事総長任命だった。パス・イ・パス検事総長は、多くの悪名高い麻薬の売人や人権侵害に関与した犯罪者を逮捕・収監するとともに、リオス・モント元大統領をジェノサイドの罪で起訴し、有罪に持ち込んだ。その結果、世界でワースト3位とされたグアテマラの犯罪率の改善に寄与した。フォーブス誌は、「世界を変革させている500人の女性の一人」として、パス・イ・パス検事総長を挙げている。

パス・イ・パス検事総長にとって、ビル・クリントン政権下で、米国の対グアテマラ外交姿勢が完全に転換されたことは、大きな追い風となった。1999年3月にグアテマラを訪問したクリントン大統領は、「かつて米国が、暴力と幅広い抑圧に関与していた(グアテマラ)国軍と諜報組織を支援したことは誤りであったことを、ここに言明いたします。」と述べ、公式に謝罪した。この発言を受けて、ワシントンポスト紙は、「私たち米国人にも、独自の真実和解委員会が必要だ。」とする社説を掲載した。

その他にも、2004年に米州人権裁判所がジェノサイドの事実とリオス・モント政権の責任を認める裁定を下したことや、2006年にスペインの判事が同氏に対する国際逮捕状を出していたことが、政治・司法環境の変化につながっていたことも、パス・イ・パス検事総長にとって追い風となった。

意外にもリオス・モント元大統領は、裁判で自己弁護の陳述を行った際、米国についてほとんど言及しなかった。しかし、ニューヨーク・タイムスが報じたように、「天井が巨大なドームとなっている大法廷では、(オバマ政権が任命した)米国のアーノルド・チャコン大使が、傍聴人として着座していたが、かつての米国政府と被告の同盟関係については、会場のだれもが知るところであった。」

ロナルド・トランプ政権の下では、一見すると、グアテマラに関心を寄せる人物はほとんどいないように思える。しかし、だからといって両国間に何事も起きていないわけではない。単に、マスメディアが、数週間前に再び報道にとりあげるまで、しばらくグアテマラへの関心を失っていたというのが実態のようだ。果たして、トランプ政権は、法と不正防止の大義を支持するだろうか、それとも単に現状を黙認するのだろうか。(原文へ

翻訳=INPS Japan

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