www.facebook.com
www.twitter.com
www.linkedin.com
www.blogger.com
www.myspace.com
RSS Feeds
 
INPS JAPAN   IDN-InDepthNews - UN INSIDER

南アフリカ共和国―核兵器を廃棄した模範

Photo: South African nuclear weapon. Credit: The National Interest.【ニューヨークIDNJ・ナストラニス】

核兵器や化石燃料関連事業からの金融資産の引き上げ(ダイベストメント)運動が盛んになっているが、その政治的影響力は、20世紀末に南アフリカ共和国(南ア)に対して展開されたダイベストメント運動のように強力なものになる可能性がある、と「世界未来評議会」のティース・ケイトー研究員は見ている。この運動は、南アが1994年にアパルトヘイトを撤廃させる一つの重要な要因となった。

現在のところ、そうした期待が実現される兆しや、現在進行中のダイベストメント運動が重武装した核兵器保有国を軍縮に向かわせる兆しはほとんど見えていない。しかし、南アは、一時は独自の核兵器開発を推し進めたがその後核兵器を自ら廃棄し、この大量破壊兵器に対する急進的な反対国に転じるという、りっぱな模範である。

ICAN中央アジアのカザフスタンもまた、かつて核兵器システムと関連施設を廃棄・破壊したが、これらの核兵器は(南アのように自力で製造したものではなく)ソ連崩壊時に同国から継承されたものだった。

南ア政府は、核兵器を自主的に廃棄してから25年目となる今年の2月25日、ニューヨークの国連本部において核兵器禁止条約に批准し、核兵器なき世界に向けたさらに重要な一歩を踏み出した。南アは同条約に2017年9月20日に署名している。

アパルトヘイト下の南ア政府は、豊富なウラン資源に恵まれたことで、早くも1948年には、原子力エネルギーと、その周辺に構築しうるウラン採鉱、貿易、エネルギー産業への関心を持ち始めた。1957年には米国と南アとの間で原子力協定が締結され、南アは米国から初の原子炉を購入している。

1978年、南ア政府は、当時南アが支配していたナミビアや本国の領土が、ソ連が支援する勢力によって侵略されるのではないかと恐れ、3段階の抑止戦略を構築した。

しかし、核脅威イニシアチブ(NTI)が指摘するように、キューバ軍のアンゴラからの撤退や、ナミビアの独立ソ連の崩壊といった安全保障環境の変化を受けて、南アは1989年に核兵器事業を放棄した。人種隔離政策、ナミビアの不法統治などにより当時グローバル経済から孤立していた南アは、核兵器を維持するよりもむしろ放棄することに利益を見出したのである。

南アの核兵器解体に伴って、1993年大量破壊兵器不拡散法が成立し、同国では核兵器開発が禁止された。

南ア政府の発表によると1977年に初めて核爆発事業を平和目的から軍事目的に転換したとされているが、米諜報当局は南アが1973年に核兵器開発を始めたと報告している。

当初、国際的な圧力により、核兵器の実験はできなかった。しかし、1982年までには初の核爆発装置の開発に成功し、1989年までには55キロの高濃縮ウランを含むTNT換算で19キロトンの爆発力を持つ核爆弾6発を保有していた。

1989年、南ア政府は公式に核計画をとりやめることを発表。1991年には非核兵器国として核不拡散条約(NPT)に加入した。国際原子力機関(IAEA)は、南アの核兵器すべてが廃棄されたことを1994年までに確認した。

南アはそれ以降、核兵器なき世界へのリーダーシップをとり続けている。1996年4月11日、南アは他のアフリカ諸国と共にペリンダバ条約に加わり、アフリカ大陸に非核兵器地帯を創設した。

ペリンダバ条約を加盟国に遵守させる目的で設置されたアフリカ原子力委員会(AFCONE)は、南アのプレトリアに本部を置いている。1996年9月24日、南アは包括的核実験禁止条約(CTBT)に署名し、1999年に批准した。

Map of South Africa加えて、南アは、核兵器なき世界を推進する新アジェンダ連合(NAC)の一員でもある。NACの起源は、ブラジル・エジプト・アイルランド・メキシコ・ニュージーランド・スロベニア・南アフリカ・スウェーデンの外相が共同声明を通じて核軍縮に向けた新アジェンダを提示した1998年6月に遡る(その後、スロベニアは脱退)。

NACは、5つの核保有国(米国・ロシア・英国・フランス・中国)と3つの核能力保有国(インド・パキスタン・北朝鮮)に対して、核軍縮を明確に誓約し、核兵器禁止条約を通じて核兵器の廃絶につながるような多国間協議を開始するよう求めた。

さらに南アは、核軍縮を主張する国々の最右翼として、核兵器なき世界を達成し維持するための明確な到達基準や時間軸をともなう、法的拘束力のある新たな枠組みを創設する提案を支持してきた。

南アは核軍縮の原則を支持し続け、2012年以降は、核兵器廃絶への人道的イニシアチブをとる中核的存在の一翼を担ってきた。それが核兵器を禁止する国連条約を求める運動へと発展し、2017年7月7日の核兵器禁止条約の採択に繋がった。

南アは、第71回国連総会において、核兵器禁止条約など核兵器の法的禁止措置について交渉を促すリーダー的な存在だった。

したがって、2017年にノーベル平和賞を受賞した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が南アの「核軍縮における継続的なリーダーシップ」を歓迎し、「その行動が他のアフリカ諸国の条約加入に繋がることを期待している」と述べたのは、当然であろう。

Nelson Mandela in Johannesburg, Gauteng, on 13 May 2008./ By South Africa The Good News, CC BY 2.0ICANは、南アのネルソン・マンデラ大統領が1998年に国連総会で行った演説に言及した。マンデラ大統領はその際、他の核兵器国が援用してきた核抑止論に挑戦して、こう述べたのである。

「我々は問わなければなりません。非道で恐ろしい大量破壊兵器を拒むことなく、その正当性を主張し続ける人々には無知に聞こえるのかもしれませんが、『なぜそんなものが必要なのか』と。実際のところ、冷戦時代の惰性と自国の優位性を固持するためだけの核兵器への執着が結果的に何をもたらすのか、満足のいく形で合理的に説明することなど誰にもできないのです。」原文へ

INPS Japan

関連記事:

南アフリカの女性たちの反核努力が評価される

国連、核兵器禁止条約交渉会議に道開く

|国連ハイレベル会合|完全核軍縮への支持、続々と