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INPS JAPAN   IDN-InDepthNews - UN INSIDER

|パレスチナ|今度は8日間にわたる殺戮が行われた

A funeral procession for two children killed in the Israeli attacks on Gaza. Credit: Mohammed Omer/IPS.ガザシティIPS=モハメッド・オメール】

 

イスラエル空軍のF16戦闘機が放ったミサイルがジャバリア難民キャンプ(ガザ地区で最も人口密度が高い地域)の自宅を直撃した時、フォアド・ヒジャージさん(46際)は、妻と8人の子供達とともに7時のニュースを見ていた。

この攻撃で、フォアドさんと2人の息子(ムハンマドちゃん3歳、シュハイブちやん2歳)が死亡し、妻のアムナさんと2人の息子、4人の娘が病院に収容された。また近隣の18人が負傷した。

 
さらにこの空爆後も、救助活動に従事していた消防隊員2名と、救助隊員1名が、頭上に崩れ落ちた壁で負傷した。近隣住民は、IPSの取材に対して、フォアド・ヒジャージさんは、いかなる軍事組織にも属していなかったと語った。

ヒジャージさんらの遺体は親戚の手でジャバリア墓地に葬られた。パレスチナでは、最後の別れをするために、遺体は一旦自宅に運ばれるのが慣習である。しかし、ヒジャージさん一家の場合、遺体を運び込める自宅は爆撃により失われていた。

「フォアドは、自宅で妻と子供達とともに団欒の一時を過ごしていたごく普通の人間でした。それなのにこんな目に遭うなんて、彼らがいったい何をしたというのでしょうか。」と、ヒジャージさんの従兄弟は語った。

イスラエル政府は、11月14日に実行したハマス幹部の暗殺以来、ガザ地区の1450地点に攻撃を加えたと発表した。

8日間にわたった今回のイスラエル軍の攻撃で、子ども42人(最年少年齢11ヶ月)、女性11人、高齢者18人(最高年齢82歳)を含む、162人のパレスチナ人が殺害された。なお、重軽傷者は今までのところ1222人(その内、半数以上が女性と子ども)が報告されている。一方、同期間にガザ地区から発射されたロケットミサイルで死亡したイスラエル人は5人であった。

またイスラエル空軍による空爆が行われ、民間人の住宅、アパート、治安施設の大半、内務省、首相公邸、警察署、難民キャンプを繋ぐ橋や道、海軍施設、メディアセンターなどが標的となった。

イスラエル軍当局は、ガザ地区北部全域(ベイト・ラヒヤベイト・ハノウンアル・アタトラと周辺地域)のパレスチナ住民に対して、自宅から退避するよう勧告するビラを上空から投下した。

ガザ地区北部の自宅から退避したパレスチナ人婦女子らは、国際連合パレスチナ難民救済事業機関(UNRWAが運営する各地の学校(救護センター)に避難してきている。各センターでは、避難民が床で寝起きしている状態である。

サダ・アサフさん(41歳)は、病気の夫、2人の子ども、さらに夫の8人の連れ子と家を後にした。「激しい砲撃が数日続いたあと、このビラが空から降ってきたのです。」とアサフさんは語った。現在アサフさん一家は、救護所となった私立男子高校に身を寄せている。アサフさんは、現在の停戦状態が持続することを願いながら、小さなラジオから流れるニュースに聞き入っていた。(2008年のイスラエル軍侵攻で壊滅的な被害をうけた)ガザ地区北部のアル・アタトラでは、アサフさん一家を含む全住民が村を後にした。

国連によると、数千人によるガザ地区北部住民がUNRWAが運営する学校施設/救護センターに避難した。

マイスさんは自宅で、ガザ地区北部から退避するよう警告するイスラエル軍当局による電話連絡(録音音声)を受けたという。マイスさんは、「私はどこにいても安全だとは思えません。ここに来たのは国連旗の下なら隠れられるのではないかと思ったからです。」と語った。

夫のサラハ・アサフさんは、「2008年に同じことが起こった時にもここに逃れてきました。」と語った。

マイスさんは、2008年当時、イスラエル軍当局が(今回と同様に)近隣住民に対して自宅を退避するよう勧告しておきながら、しばらくして住民の避難先であるこの救援センターを戦車で砲撃し、少なくとも40人のパレスチナ人を殺害したのを覚えている。この国連庇護下の学校施設を標的にしたイスラエル軍による殺戮事件は、ガザ侵攻中止を求める国際的な非難が高まる契機となった。

各地の避難所に身を寄せているパレスチナ住民らは、新たに合意された今日の停戦が継続されることを切望している。11月20日深夜すぎ、ガザ地区上空には8日ぶりに静寂が戻った。一方、ガザ各地の街角からは銃声が鳴り響いたが、それは停戦合意の知らせとパレスチナ人の抵抗の勝利を祝うガザの住民によるものであった。

サダ・アサフさんは、再び自宅に家族を連れ帰ろうと、先日この救援センターに家族を乗せてきた荷車を探していた。(原文へ

翻訳IPS Japan